私達はなぜ、低賃金で将来性もないパラリーガルの仕事を続けるのだろうか。
賞与が出なくても、残業代が出なくても、なぜ私達はそれを進んで受け入れるのか。
結局、私達は茨の道を生きたいのではないだろうか。
私達は、あえて苦しい道を進むことに喜びを感じているのではなかろうか。
こんな仕事を何年も続けるなど、もう負け組を遥かに通り越している。
格差社会の落伍者だ。下流社会の底辺層だ。
将来どうするのか? 私達は、常に不安の気持ちに襲われ続けている。
でも、だからこそ私達は職場に行くのだ。毎朝電車に乗って法律事務所に向かうのだ。
あらゆる不安を全身に抱えながら、私達は覚悟を決める。
だからこそ私達は弁護士の下で働くのだと。文句などなく、感謝の念だけがあるのだと。
自分の人生を危険な道に投げ出す。圧倒的に不利な状況にあえて自分を放り込む。
自分の人生に特大の負荷をかける。
そんなときに、私達パラリーガルは喜びを感じるのだ。
将来の希望などない。昇進も昇給もない。しかし、ないからいいのだ。
私達はある意味、人生の成功など求めていない。成功する権利があるのは弁護士だけだ。
もちろん、仕事にベストを尽くす。弁護士のためにとことん尽くす。
そのためになら、どんな辛さだって受け止める。どんな困難も受け止める。
血を吐いてでも、ベストを尽くす。
その最中で、たとえば過労死しても、我々は本望だと思わなければならない。
自分の使命に賭けて、情熱に賭けて、それで死んだのであれば、
それはそれで幸せなことであるし、素晴らしいことである。
弁護士からお褒めの言葉を頂こうなどと思ってはならない。
何をやっても怒られ、何をやっても足りないと言われるのが宿命である。
しかし、それに不満を言わない。それに絶望したりしない。
我々パラリーガルは、どんな結果であろうと真摯に受け止める。
私達パラリーガルにできることは、命を賭けてベストを尽くすことだけだ。
自分の仕えている弁護士のことを信じて、尊敬して、命を賭けてベストを尽くす。
それで人生が全うできたとすれば、賃金はずっと低くても、心は豊かだ。
たとえ途中で死んでしまったとしても、幸せな人生だったと言える。
弁護士からの見返りなど求めない。
弁護士のために人生を捧げることに喜びを感じていれば、
評価されるとかされないとか、報われるとか報われないとか、
そんなことはどうでもよいのだ。