もう駄目だ。限界だ。ボス弁から急な仕事を言いつけられる。それまでのイソ弁から頼まれていた仕事は中断。ああしろ、こうしろって言われれば、絶対に逆らえずに安い給料で奴隷のように働くのが事務員の務めだ。泣きたい気持ちを抑えて俺は必死に働く。イソ弁に怒られる。「随分前に頼んだのにまだできないのか!」。俺はすみませんと謝る。ボス弁に急用を頼まれたことを説明する。すると「言い訳するな!」「ボス弁のせいにするのか!」とまた怒られる。ひたすら謝る。涙をこらえて馬車馬のように働く。空しい。人間は何のために生きているのか。怒りも起きない。仕事を辞めたら生きられない。食べられなければ死んでしまう。でも、俺はこんなことをするために生きているのか。残業時間は100時間。過労死の基準を余裕で超えている。結局俺は仕事をやめてもやめなくても死ぬのか。弁護士に対して怒ることは事務員の本分にもとる。だから俺は自分に怒る。帰宅後には落ち込む。通常なら受け流せるかもしれないショックが何万倍にもなって突き刺さり、そして、その反動で何万倍にもなって落ち込むようだ。真っ暗な部屋で、「もう駄目だ」なとど繰り返す俺がいる。精神安定剤を飲んだ。少しは聞いたようだが、「もう駄目だ」とか「なんでこうなる」とか「死ぬか」などの言葉を一人つぶやく俺がいる。このような感じは初めてだ。このところは、小康状態で精神安定剤を控えていたのだが、それが裏目に出たのか。酒を飲んで気分を覚まそうとしてみたが、程度は変わらない。リセットしたい自分を制御できない可能性が出てきた。まずい。誰にも相談できない。寝る前に安定剤を一錠飲んだ。とても、まずい。どうすればいいのか、という自問に対して、明解な答えがでない。リセットするか、避難するか。いずれにせよ、前向きな答えではない。それでも、事務員は奴隷となって弁護士を立てて、死ぬときも迷惑を掛けないように、事務所の仕事に少しでも支障がないように準備しておかなければならない。俺の限界はいつ来るのだろうか。